東京地方裁判所 平成5年(ワ)10571号 判決 1997年3月24日
原告 高川直樹
同 高川恭子
右両名訴訟代理人弁護士 弘中惇一郎
同 加城千波
被告 松戸市
右代表者 松戸市病院事業管理者 菊地浩
右訴訟代理人弁護士 柳川從道
同 高木裕康
主文
一 被告は、原告高川直樹及び原告高川恭子に対し、それぞれ金二一八一万八一一二円及びこれに対する平成四年五月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分し、その二を原告らの、その三を被告の各負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告高川直樹及び原告高川恭子に対し、それぞれ金三七五七万円及びこれに対する平成四年五月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 (当事者)
原告らは、高川範之(平成二年一月一六日生、平成四年五月六日死亡。以下「範之」という。)の両親であり、原告高川直樹(以下「原告直樹」という。)は、耳鼻咽喉科の開業医である。
被告は、千葉県松戸市上本郷四〇〇五番地において、総合病院である国保松戸市立病院(以下「被告病院」という。)を設置経営している。
2 (範之の症状及び診療の経過)
(一) 範之は、平成四年五月三日午後七時ころ、室内で遊戯中に椅子から落ち、テーブルに前頭部を打ちつけたが、同日及び翌日は元気であった。ところが、範之は、同月五日昼過ぎころよりぐずり始め、同日午後二時ころ嘔吐し、三八度の発熱があり、同四時ころには、熱は四〇・五まで上昇し、この間二、三回嘔吐した。解熱剤により一旦熱は下がったが、同六時ころには再度発熱し、約一〇秒間の全身けいれんが一回あった。また、時折、眼球が上転し、意識がぼーっとする状態となった。
(二) そこで、原告直樹は、範之の右症状から髄膜炎を疑い、被告病院に電話し、小児科当直医の原田務医師(以下「原田医師」という。)に対し、右状況を詳細に説明した上、診察を依頼し、原告高川恭子(以下「原告恭子」という。)と共に範之を連れて被告病院に向かった。範之は、時折意識が薄れ、眼球が上転した。原告ら及び範之は、同七時一五分ころ、被告病院に到着した。原告直樹は、原田医師に対し、右経過及び症状を説明し、頭蓋内血腫又は髄膜炎の可能性はないかと尋ねた。原田医師は、範之を診断した結果、熱性けいれんと診断して、頭蓋内血腫又は髄膜炎の可能性を否定し、解熱剤及びけいれん止めを処方して範之らを帰宅させた。なお、右診察の際、血液検査、CT検査及び腰椎穿刺による髄液検査(以下「ルンバール検査」という。)は行われなかった。
(三) 範之は、同日夜間、睡眠中は特に異常がないように見受けられたが、起きているときは、飲料を飲んでは嘔吐を数回繰り返し、時々目の異常や呼吸数増多が認められ、体温も三八度ほどあった。さらに、同月六日早朝には、息が荒くなり、ぐったりして元気がなくなり、苦しげな状態となった。
そこで、原告恭子は、同日午前八時二〇分ころ、範之を連れてかかりつけの小児科医である武井孝達医師(以下「武井医師」という。)の診察を受けさせた。右診察の結果、項部硬直、多呼吸が認められた。武井医師は、診察後、原告恭子に対し、直ちに被告病院で診察を受けさせるよう指示し、右症状が記載された同病院の紹介状を作成し、これを原告恭子に持参させた。
(四) 原告恭子は、同日午前九時ころ、範之と共に被告病院に到着し、右紹介状を総合受付に提出したが、範之は一般外来として扱われ、待合室で約三〇分間待たされた。範之は、この間、症状が急激に悪化し、ぐったりし、しきりに苦しがった。この間、原告恭子は、何度か受付に対し早く診察してくれるよう懇願したが無視された。
(五) 原告恭子は、同日午前九時三〇分ころ、同科外来受付に呼ばれた。右受付内には被告病院小児科の林龍哉医師(以下「林医師」という。)及び原田医師がおり、武井医師の前記紹介状を見ていた。林医師は、自ら範之を診察することなく、原告恭子に対し、まずCT検査をうけるよう指示した。範之の症状は、CT検査の順番待ちの間にも、チアノーゼが進行し、手足がぶどう色になるなど、さらに悪化した。原告恭子があわてて林医師を呼びに行ったところ、林医師はようやく範之を診察し、範之の検査を優先するよう指示した。範之はCT検査終了後、直ちに同科病棟救急治療室に入室したが、同一〇時ころ、心停止となり、蘇生術も奏功せず、同一一時ころ、ヘモフィルス・インフルエンザ・タイプBを起炎菌とする化膿性髄膜炎により死亡した。
3 (原田医師の過失)
(一) 髄膜炎は中枢神経感染症の中で最も頻度が高い疾患であり、特に、小児の髄膜炎は進行が早く、短期間に劇的に症状が進行するものもあり(特に、インフルエンザ桿菌による髄膜炎にはこのようなものが多い。)、また予後も重大であるから、早期診断・治療が極めて重要である。髄膜炎の臨床症状は、一般に意識障害、けいれん、嘔吐等の髄膜刺激症状として現れるが、右症状は多種多様であり、年齢によっても大きく異なるから、右臨床症状などにより髄膜炎が疑われる場合は、直ちに確定診断のためルンバール検査を行い、化膿性髄膜炎であると診断された場合は、直ちに適切な抗生物質の投与を行うべきである。
(二) 前記のとおり、範之にはけいれんがあったが、けいれんを伴う小児疾患でとりわけ多いのが、熱性けいれん、脳髄膜炎、てんかんの三つであり、右三疾患の鑑別がけいれんを発症している患児についての基本的な治療である。範之の場合、熱性けいれんの既往歴がないこと(初期のけいれんであれば、それだけで髄膜炎を疑い、ルンバール検査を実施すべきである。)、家族に熱性けいれんの既往歴を有する者がないこと、髄膜刺激症状の一つである嘔吐を伴っていたこと、年齢が二歳であったこと、けいれん発作後一時間経っても意識が明瞭にならなかったこと、眼球の異常運動があったことなどから、髄膜炎が最も強く疑われる疾患であった。
(三) したがって、原田医師は、範之の診断において、発熱、けいれん、嘔吐、眼球異常運動、意識レベルの低下等の症状を確認すると共に、問診により本人及び家族について、有熱けいれんの既往歴の有無を確かめた上、同人につき髄膜炎が強く疑われる状態であることを察知し、直ちにルンバール検査を行って、起炎菌を特定し、有効な抗生物質を投与すべき注意義務があり、仮に右検査で陽性の結果が出ない場合は、入院させて入念な経過観察を行うか、あるいは、可能性が高いと考えられる起炎菌に対して有効な抗生物質を投与すべき注意義務があった。
(四) しかるに、原田医師は、右注意義務に違反し、ルンバール検査を行うことなく、漫然範之を熱性けいれんであると診断し、経過観察もせず、抗生物質を投与することもなく範之を帰宅させた過失がある。
4 (林医師の過失)
(一) 林医師は、範之が被告病院に到着後、速やかに範之を診察していれば、同人が髄膜炎であり、一刻を争う状態であることは直ちに判明していたはずである。したがって、林医師は、速やかに範之を診察して同人の状態を適確に把握し、直ちに血管確保(静脈に穿刺して輸液や薬剤投与のための点滴ラインを設けること)の措置をとり、化膿性髄膜炎に対して有効な抗生物質を投与し、併せて適切な補助療法を実施すべき注意義務があった。
(二) しかるに、林医師は、右注意義務を怠り、範之を診察することなく、漫然CT検査を指示し、範之の症状が致命的に悪化するまで放置した過失がある。
5 (因果関係)
原田医師の診察時において、範之は既に化膿性髄膜炎に罹患しており、ルンバール検査により化膿性髄膜炎と診断し、起炎菌を特定し、有効な抗生物質を投与していれば治癒できた。
また、範之が同月六日朝に被告病院に到着した点においては、範之の症状は一刻を争う状態ではあったが、未だ致命的な程度には至っておらず、血管確保、抗生物質の投与及び補助療法により救命できた蓋然性が高い。
範之は右両医師らの各過失が相まって死亡したものであるから、右両医師らの前記各過失と範之の死亡との間には相当因果関係がある。
6 (責任原因及び損害)
被告は、右両医師らの使用者として、民法七一五条一項により範之及び原告らが被った左記損害を賠償する責を負う。
(一) 逸失利益金四三一四万円
範之は死亡当時二歳であり、平成四年度賃金センサス男子労働者学歴計年収から生活費及び新ホフマン係数により中間利息を控除して計算すると、その逸失利益は四三一四万円を下らない。
(計算式・5,068,600×0.5×17.024≒43,140,000)
(二) 慰謝料
(1) 範之金一八〇〇万円
(2) 原告ら固有各金三〇〇万円
(三) 葬儀費用金一二〇万円
(四) 弁護士費用金六八〇万円
右(一)ないし(三)の合計額の約一割に相当する金額は、原田及び林両医師の前記各過失と相当因果関係にある。
(五) 原告らは、右(三)及び(四)の金額を、各二分の一の割合により支出し、また、範之が取得した右(一)及び(二)(1)の損害賠償請求権を、相続により各二分の一の割合により取得した。
よって、原告らは被告に対し、不法行為に基づく損害賠償としてそれぞれ金三七五七万円及びこれらに対する不法行為の日である平成四年五月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(当事者)の事実は認める。
2(一) 同2(範之の症状及び診療の経過)(一)の事実は不知。
(二) 同2(二)中、原告直樹が原田医師に対し、電話で症状を詳しく説明したこと、及び診察時に頭蓋内血腫の可能性はないかと尋ねたことは否認し、被告病院に到着するまでの間における範之の状態は不知、その余の事実は認める。
原田医師が原告直樹から電話で告げられた内容は、熱を出してひきつけたので診てほしいという程度であり、これ以上の詳しい症状等の説明はなかった。
なお、原田医師の診断は、髄膜炎の可能性を断定的に排除したものではなく、この段階では熱性けいれんとして対処するのが臨床上適当であるとの趣旨である。
(三) 同2(三)の事実は不知。
(四) 同2(四)中、範之が一般外来として扱われ、待合室で約三〇分間待たされたことは否認し、範之の症状が悪化したことは不知、その余の事実は認める。
原告恭子及び範之が被告病院に到着した時刻は、正確には午前九時過ぎであり、待合室での待ち時間は、二〇分足らずである。
(五) 同2(五)中、原田医師が小児科外来受付内にいたこと、林医師が範之を診察しなかったこと及びCT検査の順番待ちの間に、範之の手足がぶどう色になったことは否認し、その余の事実は認める(ただし、林医師が同科外来受付に赴いた時刻は午前九時二〇分ないし二五分ころであり、範之の死亡が確認された時刻は同一一時三〇分である。)。
林医師は、待合室にいる範之を診察している。
3(一) 同3(原田医師の過失)(一)中、インフルエンザ桿菌による髄膜炎には短期間に劇的に症状が進むものが多いとの点は否認し、その余は一般論としては認める。
なお、小児の髄膜炎の早期診断・早期治療は、臨床上容易でなく、特に電撃的なものについては極めて困難である。また、侵襲を伴うルンバール検査を実施するか否かは、これによる負担や合併症の危険性、他の症状が疑われる程度など、種々の要素を勘案して決定すべき事柄である。
(二) 同3(二)中、範之にけいれん、嘔吐があったこと、同人の年齢が二歳であったこと、及びけいれんを伴う小児疾患でとりわけ多いのが、熱性けいれん、脳髄膜炎、てんかんの三つであり、右三疾患の鑑別がけいれんを発症している患児についての基本的な治療であることは認め、その余は争う。
臨床の実際においては、右三疾患の鑑別が困難なことも少なくない。
原告らは、初回のけいれんであれば、それだけで髄膜炎を疑い、ルンバール検査を実施すべきであると主張するが、かかる考え方は未だ臨床上確立したものではない。ルンバール検査は、これによる患者の負担や合併症の危険を勘案してもなお実施する必要があるとされる程度に、具体的に髄膜炎を疑わせる所見が認められて初めて行うべきものであるが、具体的にいかなる症状がそろえば髄膜炎を疑い、ルンバール検査を行うべきかについては、臨床上の指針となるべき明確な基準はない。
範之の年齢(二歳)は、むしろ熱性けいれんの好発年齢でもある。原田医師の診察時において、意識状態は清明で、項部硬直もケルニッヒ徴候も認められず、また、嘔吐は極めて非特異的な症状であり、範之につき髄膜炎を具体的に疑わせる所見は認められなかった。眼球の異常運動、意識レベルの低下及びけいれん発作後一時間経っても意識が明瞭にならなかったとの点は、原田医師の診察時に観察されておらず、右診察に際しても告げられていない。項部硬直も認められていない段階で、髄膜炎が進行した結果として右のような症状が現れることはありえない。
(三) 同3(三)は争う。
原田医師の診察時において、範之は、あえてルンバール検査を行い、あるいは経過観察のために入院させなければならない程度に髄膜炎が疑われる状態ではなかった。原告らは、帰宅させるにしても抗生物質の投与を行うべきであったと主張するが、起炎菌の抽出前段階で抗生物質を投与することは、起炎菌の特定及び感受性検査を不能とするので、厳に慎むべきである。
(四) 同3(四)は争う。
原田医師は、この段階ではあえてルンバール検査を実施し、あるいは入院させて経過観察を行う必要性はないと判断し、原告らに対して自宅での経過観察を指示したものであり、右措置は、臨床上妥当である。
4 同4(林医師の過失)は争う。
林医師の診察時において、範之の症状は、一刻を争うようなものではなかった。林医師は、頭蓋内出血又は髄膜炎による脳圧亢進を疑い、まずCT検査を指示したものであり、右措置は、臨床上妥当である。
5 同5(因果関係)は争う。
範之の疾患は、極めて急速に進行する電撃型髄膜炎であり、その早期診断及び早期治療は極めて困難である。範之は、平成四年五月六日の来院後、急速に状態が悪化し、一時間足らずで心停止、呼吸停止に至っており、いかに迅速・適確に対処しても救命は不可能であった。
6 同6(責任原因及び損害)中、被告が原田医師及び林医師の使用者である事実は認め、損害は不知、主張は争う。
第三証拠関係
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記録と同一であるから、これを引用する。
理由
一 請求原因1(当事者)について
請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。
二 請求原因2(範之の症状及び診療の経緯)について
1 請求原因2中、原告直樹が平成四年五月五日、被告病院に電話し、小児科当直医の原田医師に診察を依頼した上、同日午後七時一五分ころ、原告らが範之を連れて被告病院に赴き、原田医師に対し経過を説明したこと、原田医師が範之を診察し、熱性けいれんであると診断し、解熱剤及びけいれん止めを処方して範之らを帰宅させたこと、その際、血液検査、CT検査及びルンバール検査は行われなかったこと、原告恭子及び範之が、遅くとも同月六日午前九時過ぎころ、被告病院に到着し、同病院小児科の林医師が遅くとも同九時三〇分ころ、範之につきCT検査を指示したこと、範之の症状は、CT検査待ちの間に急速に悪化したこと、範之がCT検査実施後、直ちに同科病棟救急治療室に入室したこと、同人が同日午前一一時ないし同一一時三〇分ころ、ヘモフィルス・インフルエンザ・タイプBを起炎菌とする化膿性髄膜炎に起因する敗血症性ショックにより死亡したことは、当事者間に争いがない。
2 右争いのない事実、甲第一、第四ないし第六号証、乙第一号証の一ないし五、第二号証の一ないし二〇、第三、第六ないし第八号証、第九号証の一ないし一三、第一〇号証、丙第一ないし第六号証、証人原田務及び同林龍哉の各証言、訴え取り下げ前の被告武井孝達、原告高川直樹及び原告高川恭子の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(一) 範之は、平成四年五月三日午後七時ころ、椅子から落ちて前頭部をテーブルに打ちつけ、こぶと青あざができたが、同月四日及び五日の午前中は特に異常はなかった。
(二) 範之は、同日昼過ぎよりぐずり始め、同日午後二時ころ嘔吐し、三八度の発熱があり、その後、さらに数回嘔吐し、同四時ころには体温が四〇・五度に上昇した。範之は、解熱剤により一旦体温は下がったが、同六時ころ、約一〇秒間の全身けいれんを起こし、体温も再度上昇した。また、時々ぼんやりし、眼球が上転する状態となった。なお、けいれんは右の一回のみで、範之は過去にけいれんを起こしたことはなかった。
(三) 原告直樹は、被告病院に電話をかけ、応対に出た小児科当直医の原田医師に対し、範之が熱を出してひきつけたので診てもらいたい旨告げた。(甲第一号証及び原告高川直樹本人尋問の結果中には、原告直樹はこの時、原田医師に対し症状の経過を詳細に説明した旨の陳述ないし供述部分があるが、これらは乙第一号証の二、乙第六号証及び証人原田務の証言に照らして直ちに採用することができない。)。
(四) 範之は、被告病院へ向かう車中でも、時折ぼんやりし、眼球が上転する状態であったが、原告らが声をかけると元に戻った。
(五) 範之は、同日午後七時一五分、被告病院救急室に到着し、原田医師の診察を受けた。その際、範之は、眠ることもなく、意識は比較的しっかりしていた(原田医師は、範之の意識状態について、道具を用いた検査は行わなかったが、これは、右時点における範之の意識状態が、特段問題視するようなものではなかったことを推認させる。)。
原告らは、原田医師に対し、範之が同月三日に頭部を打撲したが、同月五日午前中までは元気であったこと、同日午後二時ころ三八度の発熱があり、同四時ころには体温が約四〇度に上昇したこと、同人が二回嘔吐したこと、一〇秒間ほど続くけいれんが一回あったこと、スルピリン坐薬(解熱剤)を入れたことを告げ、髄膜炎の可能性はないかと質問した。(甲第一、第四号証並びに原告ら各本人尋問の結果中には、原告らは、右診察の際、原田医師に対し、範之の黒目が上転したことを告げた旨の陳述記載ないし供述部分がある。しかしながら、乙第六号証及び証人原田務の証言中にはこれと反対の趣旨の陳述記載ないし供述部分があり、乙第一号証の二(診療録)にも、右症状の記載はない。原田医師が、右症状の存在を告げられながら、これを診療時に記載しなかったということは考えがたい。また、原告ら各本人尋問の結果によれば、原告らは当時、右症状を必ずしも重大視していなかったことが認められる。したがって、原告らが右症状の存在を原田医師に告げたことを認めることはできない。)
右診察時において、範之の体温は三九度であり、咽頭の発赤は認められず、胸部の聴診上も異常所見はなかった。原田医師は、更に神経学的所見をとったが、項部硬直及びケルニッヒ徴候はいずれも認められなかった。原田医師は、血液検査、頭部CT検査及びルンバール検査はいずれも実施しなかった。
原田医師は、右診察の結果、熱性けいれんであると診断し、フェノバール(抗けいれん剤)、ポンタール(消炎・鎮痛・解熱剤)及びペリアクチン(抗ヒスタミン剤)を処方し、範之を帰宅させた。(証人原田務は、原告らに対し、自宅で経過を観察し、変化があったら再受診するよう指示した旨証言するが、右証言は乙第二号証の一、原告ら各本人尋問の結果並びに後記のとおり原告らが翌朝、まず武井医師の診察を受けさせた事実に照らして、直ちに採用することができない。)
(六) 範之は、帰宅後、同日夜間は、再度けいれんを起こすこともなく、寝入っている時は呼吸は静かで、時折自ら起きて飲料を飲んだが、その後嘔吐した。起きているときは呼吸はやや速く、時折眼球が上転したが、呼びかけには反応した。この間、体温を一回測定したところ、三八度前後であった。
(七) 同月六日朝、範之は意識はしっかりしていたものの、呼吸が速く、ぐったりして元気がなく、時折眼球が上転する現象も続いた。原告直樹は、原告恭子に対し、朝一番に武井医師の診察を受けさせるよう指示した。原告恭子は、同原告の母親と共に、範之を連れて武井小児科医院に行き、範之は、同八時三五分ころ、武井医師の診察を受けた。範之は、武井医師の呼びかけに対しては普通に応答できる状態であり、診察所見は、顔面及び口唇蒼白、外眼筋運動、虹彩正常、項部硬直あり、ケルニッヒ徴候なし、肺音正常、心臓雑音なし、呼吸数増多であった。
武井医師は、右所見から、範之については髄膜炎の可能性があり、その症状はかなり重く、被告病院で早急に治療を受ける必要があると判断し、原告恭子に対し、直ちに被告病院で受診するよう指示し、同病院宛の紹介状に右経過及び診察所見を記載して、これを原告恭子に持参させた。原告恭子は、武井医師に対し、救急車で搬送した方がよいのではないかと尋ねたが、武井医師は、自家用車で行けば十分である旨述べた。
(八) 原告恭子及び範之は、同九時過ぎころ被告病院に到着した。原告恭子は、同病院救急室付近で居合わせた看護婦に右紹介状を提出して診療の申込みをした。右看護婦は、右紹介状の内容を確認し、直ちに林医師にその内容を電話で連絡した。林医師は、右看護婦に対し、範之のカルテを出した上、直ちに自分を呼ぶように指示した。右カルテが出てくるまで約三〇分の間、範之は、原告恭子らと共に、同病院小児科外来待合室で診察の順番を待った。
(九) 林医師は同日午前九時三〇分ころ、前日のカルテ及び紹介状を見た上、原告恭子に対し、診察する前に、頭部CT検査を受けるよう指示した。その時の範之は苦しそうな状態であったので、原告恭子は範之を待合室の長椅子に寝かせ、林医師に対し、診察してほしい旨申し出たが、同医師は、右申出に応じないまま、再度頭部CT検査を受けるよう指示した。
この点、乙第七号証及び証人林龍哉の証言中には、林医師は、同日午前九時三〇分ころ、右待合室内で診察したところ、範之は、顔色が悪く、呼吸が少し早かったこと、頭を触ってみたが、脳圧の変化は分からなかったこと、顔や爪にはチアノーゼがなかったこと、脈は少し早かったが、触れにくいということはなかったこと等待合室での診察状況を具体的に記載ないし供述している部分がある。しかしながら、原告恭子は、林医師は待合室においては範之を診察しておらず、CT検査室の前で初めて範之の状態を診察している旨一貫して供述していること、同医師は、小児科医として約三〇年の経験があり、仮に同医師が待合室で診察していたら、その三〇分後における範之の呼吸停止、心停止の状態がおきる前のいわゆるプレショックの状態を把握して、血圧測定、静脈輸液ルートの確保をした上で、CT検査室へ付き添っていくことが考えられる(甲第一一号証の二)のに、林医師はそのような行動を採っていないことに照らすと、林医師の証言はにわかに措信し難い。
(一〇) そこで、範之は、原告恭子と共にCT検査室の前で順番を待ったが、チアノーゼが進行して手足が紫色になるなど状態が悪化した。原告恭子は、同九時三五分ころ、小児科外来の看護婦に対し、範之の状態が悪化した旨告げた。林医師がCT検査室の前へ赴いたところ、範之の状態は一層悪化しており、呻吟呼吸、昏睡、高度のチアノーゼが認められた。林医師は、「この子は死んじゃうぞ、酸素吸入だ、検査も早く。」と述べ、先にCT検査室へ入っていた他の患者を直ちに退出させ、範之に対して酸素を投与しつつ頭部CT検査を実施し、同九時五〇分、範之を小児科病棟処置室へ入室させた。
(一一) 範之は、全身色不良、呼吸はやや不規則であえぎ様であり、四肢はやや硬く、眼球上転が認められ、極めて重篤な状態となった。林医師は、酸素吸入を継続し、血管確保を試みたが、呼吸が徐々に浅くなり、心拍数が減少し、同一〇時ころ、呼吸停止及び心停止となった。
林医師は、直ちに心マッサージ、気管内挿入による人工呼吸、ボスミン、メイロンの投与などの蘇生術を行い、これらを一時間以上継続したが奏功せず、同一一時二九分、範之の死亡が確認された。
(一二) 前記CT検査の結果、頭蓋内出血等の異常所見は認められなかった。心停止後に範之から採取された血液及び髄液を検査した結果、そのいずれにも細菌の存在が認められ、培養の結果、同月八日、起炎菌はヘモフィルス・インフルエンザ・タイプBであることが判明した。血液所見は、白血球数三四〇〇、血小板数三万であった。
三 請求原因3(原田医師の過失)について
1 甲第二、第三、第七、第八、第九号証の一ないし三、第一〇号証、第一一号証の二ないし五、乙第四号証の一ないし三、証人武井孝達、同原田務及び同林龍哉の各証言及び鑑定人砂川慶介の鑑定結果(以下「本件鑑定」という。)によれば、髄膜炎に関する医学的知見につき次の事実が認められる。
(一) 髄膜炎は、脳や脊髄を覆っている脳脊髄膜の炎症であり、このうち化膿性髄膜炎は、インフルエンザ桿菌・大腸菌・赤痢菌群等のグラム陰性桿菌、グラム陰性球菌、グラム陰性短球菌、グラム陽性菌、肺炎双球菌・ブドウ球菌等のグラム陽性球菌などの化膿菌によって起こるものをいう。
化膿性髄膜炎は、頻度は低いが、診断が遅れると死亡又は重大な後遺症(脳膿瘍、硬膜下水腫、膿瘍、水頭症、難聴、中枢神経障害等)につながりやすいから、微細な症状所見も見逃さないように努力し、必要と感じたらルンバール検査を躊躇してはならない。
(二) 小児の化膿性髄膜炎の中には、進行が速く、電撃的なものもある。電撃型髄膜炎とは、髄膜炎のうち、急速に症状が進行し、血液凝固障害、皮下出血、副腎出血(時にショックを伴う。)を伴う症候群であり、死亡率が極めて高い。症状としては発熱、意識障害、嘔吐、頭痛、発疹(出血斑)、ショック、播種性血管内凝固が挙げられているが、このうち、副腎出血が最も重要な徴候であり、発疹及び播種性血管内凝固は必発の症状ではないとされている。電撃型と通常の化膿性髄膜炎の病態は、進行の速度を除いては特に大きな差はみられない。
昭和六〇年一月から平成元年一二月までの間に被告病院小児医療センター小児内科に入院し、起炎菌の判明した小児期化膿性髄膜炎二〇症例中五例が死亡例であるが、これらは、初発症状から入院までの時間が最短一九時間一五分、最長五日で、入院の契機となった症状から入院までの時間が最短四五分、最長八時間四〇分で、いずれも生存例に比して短期であり、急激に症状が進行した症例であった。
(三) 化膿性髄膜炎の臨床症状としては、発熱、悪心、嘔吐、頭痛、けいれん、意識障害等の非特異的な症状と、項部硬直、ケルニッヒ徴候、ブルジンスキー徴候等の特異的な髄膜刺激症状とがある。右各症状の発現は、患者の年齢、病勢の進行の程度によって異なり、幼若児ほど特異的な症状に乏しい。
(四) 化膿性髄膜炎の確定診断の方法としては、ルンバール検査の実施による髄液所見、菌の培養による起炎菌の決定であるが、頭蓋内圧亢進時、呼吸器や循環器疾患がある場合におけるルンバール検査の実施は危険がある。なお、初回のルンバール検査の結果が正常であっても、その後細胞数が上昇して化膿性髄膜炎と診断される場合もある。
(五) 化膿性髄膜炎に対する治療法としては、起炎菌に対して高度の感受性を有する抗生物質を投与することであり、早期に実施すれば後遺症を残さずに治癒することが多い。化膿性髄膜炎の起炎菌には種々のものがあり、それぞれ抗生物質に対する感受性が異なるが、起炎菌の抽出前に抗生物質を投与すると起炎菌の決定及び抗生物質の感受性検査の支障となるので、まずルンバール検査を実施して起炎菌を抽出し、抽出した菌についてその決定を行う一方、右菌に対して感受性のある抗生物質を検査して、十分な感受性のある抗生物質を使用することが基本となる。抗生物質の投与は起炎菌が判明するのを待たずに行い、菌判明後に必要に応じて抗生物質を変更すべきである。
(六) いかなる症状が現れた場合に、化膿性髄膜炎を疑い、確定診断のためにルンバール検査を行うべきかについて、臨床上有用な基準定立の試みがなされているが、明確な臨床上の基準は未だ確立されていない。幼児若乳児では、初回有熱けいれんの場合全例にルンバール検査を実施すべきとする見解や、初回の有熱けいれんで二歳以下若しくは五歳以上の小児では、原則として髄膜炎を除外するためにルンバール検査を行うべきとの見解もある。
(七) 一般に、幼児期(二歳から六歳)にけいれんを伴う疾患中頻度が高いものとしては、化膿性髄膜炎のほか、熱性けいれん及び感染を伴ったてんかんがある。これらの鑑別のための検査項目としては、前記ルンバール検査のほか、血液検査、尿検査、髄液検査、CTスキャン等がある。熱性けいれんの場合、髄膜刺激症状を認めず、髄液が正常である。
2 前記認定事実及び本件鑑定によれば、範之の死亡の結果を招来した疾患は、ヘモフィルス・インフルエンザ・タイプBを起炎菌とする化膿性髄膜炎及び敗血症であり(いずれの疾患が先行したかは不明)、範之の死は右起炎菌が産生するエンドトキシンによるショック死であること、右疾患の発症時期は平成四年五月五日午後二時ころであること、原田医師が範之を診察した当時において、右化膿性髄膜炎は既に発症しており、症状の進行段階は初期であったこと、同日夜間までは症状は急速な進行はなかったが、翌六日午前九時ころより細菌感染が急激に進行し、電撃型髄膜炎又は敗血症症候群の合併症に進行して、インフルエンザ菌から放出されたエンドトキシンによってショック、脳浮腫が急速に進行したために血圧低下、チアノーゼ、心不全、呼吸停止へと短時間に症状が悪化して死に至ったことが認められる。
3 そこで、原田医師の過失の有無について判断する。
(一) 原田医師の診察時までにおける範之の症状が、発熱、嘔吐、全身けいれん並びに一時的な眼球の上転(これが、中枢神経感染症に特異的な症状の一つである眼振であったことを認めるに足りる証拠はない。)及び軽度の意識レベルの低下であったこと、範之が当時二歳三か月であり、過去にけいれんを起こしたことがないこと、同児に咽頭発赤が認められなかったこと等前記認定の事実関係及び本件鑑定を総合すれば、原田医師の診察時において、範之について想定された疾患は、<1>感染症に伴う熱性けいれん、<2>髄膜炎及び<3>感染を伴ったてんかんの三つであるが、このうち、熱性けいれん及びてんかんの可能性は低く、髄膜炎がより強く疑われる状態であったことが認められる。
確かに、右症状は髄膜炎に固有のものではなく、しかも、項部硬直等の髄膜刺激症状は認められなかったから、直ちに髄膜炎と確定診断するだけの根拠が乏しかったことは否定できない。
しかしながら、複数の疾患の鑑別判断に当たっては、たとえ蓋然性が高くなくとも、重大な疾患について優先的にその該当の有無を検討すべきである。前記認定のとおり、化膿性髄膜炎は予後が重大であり、また急激に進行する可能性もある危険な疾患であるから(当該疾患が進行の速いものであるかどうかの事前の判断が困難であるとしても、その可能性は常に念頭に置くべきである。)、確定診断のための検査を積極的に行うべきである。しかも、低年齢児の化膿性髄膜炎では、初期段階では髄膜刺激症状が現れないこともあるから、髄膜刺激症状がみられない場合であってもルンバール検査を行うべきことが指摘されていたことは前記認定のとおりである。
したがって、髄膜炎を強く疑わせるような臨床症状が存在したときは、熱性けいれん等他の疾患の可能性を全く排除できないとしても、直ちに確定診断のためルンバール検査を実施するか、あるいは入院させて入念な経過観察を行い、髄膜炎の可能性を常に念頭に置き、項部硬直ないしケルニッヒ徴候の有無・程度、体温の推移、一般状態の経過等に細心の注意を払い、必要に応じてルンバール検査を実施すべきである。
(二) 前記認定事実によれば、原田医師は、範之の診察に際し、原告直樹から、範之に少なくとも発熱、嘔吐及びけいれんの症状があること及びけいれんは初めてであったことを告げられると共に、髄膜炎の可能性を問われており、また、右診察時における範之の体温が三九度であり、診察の結果、咽頭の発赤は認められないことを確認したのであるから、範之については髄膜炎が強く疑われ、熱性けいれん等他の疾患も想定できるが、その可能性は比較的低かったことを容易に察知することができたと認められる。したがって、同医師は、範之に対し、直ちにルンバール検査を実施するか、あるいは入院させて入念な経過観察を行い、髄膜炎の可能性を常に念頭に置き、項部硬直ないしケルニッヒ徴候の有無・程度、体温の推移、一般状態の経過等に細心の注意を払い、必要に応じてルンバール検査を実施すべきであった。
もっとも、前記認定事実及び本件鑑定によれば、初発症状が出現してから原田医師が診察するまでの間は約五時間三〇分であるから、直ちにルンバール検査を実施しても異常所見が認められなかった可能性もあるが、この場合は、入念な経過観察の上、再度同検査を実施すべき注意義務があったというべきである。
しかるに、前記認定事実によれば、原田医師は、範之を熱性けいれんであると診断し、ルンバール検査を実施せず、また右のような入念な経過観察を行うこともなく、範之を帰宅させたのであるから、右注意義務を怠った過失がある。
(三) 被告は、項部硬直など、典型的な髄膜刺激症状の出ていない段階で直ちに患者に負担を与え、また合併症を生じるなど危険のあるルンバールを行うべきとすることは臨床上確立された考え方ではないと主張する。また、証人原田務は、通常の髄膜炎であれば、発症後二、三日経過後の診断、治療であっても治癒するのであり、範之のような電撃型髄膜炎は稀であるから、全く念頭に置いていない旨証言し、本件鑑定中には、日常見られる髄膜炎は無菌性のものが圧倒的に多いこと、、化膿性髄膜炎であっても、発症後数日経過後の診断、治療であっても後遺症を残さず治癒する例が多いこと及び電撃型との判断は不可能であると思われることから、未だ項部硬直の見られない時点で強制的に固定して疼痛を伴う検査を実施することを躊躇したことは十分理解できるとする記述部分がある。
しかしながら、髄膜炎に関する前記認定の医学的知見によれば、化膿性髄膜炎において、いかなる段階でルンバール検査を実施すべきかついて明確な臨床上の基準が確立されていないものの、早期の段階において同検査を行うべきとする見解もあるのであって、生命及び健康を管理すべき医業に従事する医師は、その業務の性質上、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準に従い、危険防止のために実践上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであり、典型的な髄膜刺激症状が出ていない段階でルンバール検査を行うべきとする見解が確立されていないとか、平均的医師が現に行っている医療慣行のみによって、医師の注意義務が否定されるものではなく、その具体的な事情に即して、過失の有無を判断すべきである。原田医師が範之を診察した当時における範之の症状は前記認定のとおりであって、化膿性髄膜炎が疑われる状態にあった。また、原告高川直樹本人尋問の結果及び乙第四号証の五によれば、ルンバール検査は、通常小児科医にとってさほど困難な手技を伴うものではなく、乙第四号証の四によれば、ルンバール検査を実施した場合の合併症としては、頭痛、腰痛、脳ヘルニア、感染症、出血等があり、特に腰痛は相当頻度で出現するが、一過性のものであることが認められる。これらの事実を考慮すると、原田医師は、日常見られる髄膜炎が無菌性のものが多いとしても、化膿性髄膜炎の場合は診断が遅れると死亡又は重大な後遺症につながりやすく、かつ、前記被告病院における症状分布からも、電撃型髄膜炎は相当頻度で存在していると認められるから、診断に当たっては、これらの事情を考慮して、化膿性髄膜炎の可能性を念頭に置いて、ルンバール検査の是非を判断し、これを実施すべきであったということができるのであって、このような状況のもとにおいては、ルンバール検査の時期、適否等について臨床上の基準が確定されていないことは、原田医師の右過失を否定する事由にならないものというべきである。
したがって、右被告の主張及び本件鑑定意見は採用することができず、右主張は理由がない。
四 請求原因4(林医師の過失)について
林医師の範之に対する診察経過は、前記認定のとおりであるところ、右認定事実によれば、林医師は、原告恭子の申出にもかかわらず、CT検査の前に診察をせず、その状態を十分把握しないまま漫然とCT検査を指示したため、血管、静脈輸液ルートの確保、昇圧剤の携帯等その後の範之の異常事態に対する迅速な治療を行い、その生命を救済することが可能であったのに十分な診察を怠った過失があるというべきである。
林医師の証言及び本件鑑定中には、林医師は、外来で診療待ちをしている範之を視診した旨、熟練した小児科医は診療待ちをしている患児に対し、全身の視診である程度その症状を把握することができる旨の供述や意見があるが、林医師は、カルテや武井医師が作成した紹介状の記載から範之が前日被告病院で診察を受けたこと及び当日の来院前における武井医師の診察では髄膜炎の疑いが濃厚であり、かなりの重症であることを認識することができたのであるから、範之が被告病院に到着した旨の連絡を受けた後、直ちに適切な診察及び治療を行うべきである。しかるに、同医師は、「全身の視診」程度の安易な診察により、漫然とCT検査を受けるよう指示し、順番待ちをしている時間においても特段の注意を払っていないのであって、熟練した小児科医は視診である程度わかるというような合理性に欠ける判断を前提とする行為は、範之の髄膜炎に関しては適切な診察及び治療を行ったものとは到底いえず、林医師もまた、医師として要求される前記説示の注意義務を怠った過失責任を免れない。林医師の右の判断は、範之の急激な症状悪化から見て結果として誤っていたものといえるし、同医師のこのような態度は、多分に医師に対する信頼を損なうおそれがあることが明らかであって、視診のみによる安易な診察によって医師の免責を肯定しかねない前記意見等は採用することができない。
五 請求原因5(因果関係)について
1 前記認定事実及び本件鑑定を総合すれば、原田医師が、範之に対し、速やかにルンバール検査を実施し、起炎菌であるインフルエンザ菌に対して感受性のある抗生物質を投与していれば、インフルエンザ菌の増殖が抑制され、インフルエンザ菌が産生するエンドトキシンによるショック状態に陥ることもなく治癒していた高度の蓋然性があること、林医師が範之の血管、静脈輸液ルートの確保及び昇圧剤の携帯等、範之の異常事態に対処する措置をとっていれば、その生命を救助する可能性があったことを認めることができる。しかるに、原田及び林両医師は右治療を行わず、その結果、範之は細菌感染が急速に進行し、被告病院における頭部CT検査室においてショック状態に陥り、死に至ったものであるが、範之は、原田及び林両医師の右各過失が相まって、救命がほとんど不可能な状態となるまで治療を受ける機会を逸し、死亡するに至ったということができるから、両医師らの右各過失と範之の死亡の結果との間には相当因果関係がある。
林医師はその証言において、範之が被告病院に到着した時点において、直ちに血管確保の措置をとり、準備の上抗生物質の投与を開始したとしても、範之にはアレルギー体質があったから、抗生物質の反応テストをする必要があり、その後抗生物質を投与し、抗生物質が奏功するまでにも相当の時間を要したであろうこと、及び抗生物質の投与によりインフルエンザ菌が一度に破壊され、エンドトキシンが大量に産出されてショックを誘発する危険性もあった旨供述するが、本件鑑定によれば、全身状態が悪化する前に血管確保は容易であり、血管確保の遅れが範之の死亡の結果を招来した可能性があることが認められるから、証人林龍哉の右供述は、林医師の過失と範之の死亡の結果との間の相当因果関係に関する前記認定の妨げとならない。
2 被告は、範之の死亡の原因となった髄膜炎は、極めて急速に進行する電撃型髄膜炎であり、その早期診断及び早期治療は極めて困難であるから、原田医師が診察した時点においては、未だ確定診断及びこれに対する治療は不可能であった旨主張し、本件鑑定中にも、臨床経過、検査結果(白血球減少、血小板減少)、範之が発症後二四時間以内に死亡したこと、及び同人が平成四年五月六日午前九時以降に急速に症状が悪化し、ショックから死に至ったことから、範之の疾患は、電撃型髄膜炎であった可能性が極めて高い旨の意見がある。
しかしながら、原田医師が範之を診察してから、範之がショック状態に陥るまでは一二時間以上もあり、この間に速やかにルンバール検査を実施していれば、起炎菌を抽出して抗生物質を投与し、これが奏功する時間的余裕は十分あったものと考えられ、右治療行為のためには、必ずしも電撃型であると診断する必要はなかったものというべきである。結果的に範之の疾患が極めて急速に進展して死に至ったこと及び電撃型髄膜炎に合致する所見があることを理由に、同人の救命可能性を否定することはできないというべきであり、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
六 請求原因6(責任原因及び損害)について
原田及び林両医師が、被告の被用者である事実は、当事者間に争いがなく、右事実によれば、被告は、右両医師らの前記各過失により原告ら及び範之が被った左記損害を賠償する義務を負う。
1 逸失利益 金二二六三万六二二四円
範之の死亡による逸失利益算定の基礎となる年収としては、賃金センサス平成四年第一巻第一表男子労働者学歴計の年間給与額五四四万一四〇〇円によるのが相当であり、範之は死亡当時二歳であったから、その逸失利益の死亡時の現価は、生活費控除割合を五割とし、新ライプニッツ係数により計算すると、次のとおり金二二六三万六二二四円となる。
(計算式・5,441,400×0.5×8.32=22,636,224)
2 慰謝料
(一) 範之 金一〇〇〇万円
(二) 原告ら固有 各金三〇〇万円
3 葬儀費用 金一〇〇万円
これは相続分に応じ原告らの負担となるものと解される。
4 弁護士費用 金四〇〇万円
右1ないし3の合計額の約一割に相当する金四〇〇万円が相当であり、これは相続分に応じ原告らの負担となるものと解される。
5 弁論の全趣旨によれば、原告らは、右1及び2(一)の損害賠償請求権を、法定相続分である各二分の一の割合により取得したことが認められる。
七 結論
以上のとおり、原告らの本訴請求は、被告に対し各金二一八一万八一一二円及びこれに対する不法行為の日である平成四年五月六日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので、これを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 長野益三 裁判官 玉越義雄 裁判官 名越聡子)